手綱獲りの旅

いつのまにか時は流れおっさんになってしまってました。

「家族で仲良く」はもちろん素晴らしい、が

それが、適切で健全なパワーバランスの下に成立している場合に限るよね。

だれかが実はものすごく我慢していたり、犠牲になっていたりしたら、

「家族で仲良く」はその人にとっては嘘で、寒々しいもの。

だから、もしだれか一人でもそういう思いをしている人がいて、

それでやっと成り立っている「仲のいい家族」だったら、ぶっこわしていい。

多数決じゃない。「だれか一人でも」そういう人がいたら、

それは嘘だから。

 

一方でそれでいい思いをしている側はそういう「仲のいい家族」の存続を求めていて、

そういう奴は我慢している側が現体制を壊そうとすると、

結構純粋に正義感から「お前は勝手で家族のことなんか考えていない」とか言ってくるんですけど、

それは結局、「お前が我慢してればこっちは楽しいから、それをやめるな」

というメッセージなので、

聞く必要ないです。

むしろ、家族のことを考えすぎて、気を遣いすぎて疲弊しているのに

連中はそんなこととはつゆ知らず何も見えていない安い正義感と「家族を本当に思っているのは自分」という自己陶酔でこちらを責め立ててきます。

鼻で笑ってやりましょう。

一番伝えたいこと

そこのあなた!

そう、なぜかこんなブログにネットサーフィンの末行き当たってしまったそこのあなた!

 

あなたはたぶん、なにか悩みを抱えていたりするんじゃないですか?

もしかして、自分には価値がない、なんて思ってたりするんじゃないですか?

 

ほんとのことを言います。

何の取り柄もなく、性格も見た目も悪く金もない、努力もしたくない怠惰な人がいるとします。

その一方で、金や容姿や才能に恵まれていたり、すごい努力をして何かを成し遂げたり、ものすごい人格者で立派だったりするような人もいます。

 

この両者の人としての価値は同じです。

繰り返します。何の取り柄のないクズでも、生きてていいんですよ。

逆に、取り柄があったり、金があったり、それがたとえものすごい努力の果てに手に入れたものであったとしても、それを根拠にほかの人を馬鹿にする権利や、威張る権利なんて、誰にもないんですよ。

俺は二流だ

薄々感じていてもはっきり認めることができなかったこと。

それが、「俺は二流だ」ということ。

今日ようやくはっきり悟った。

 

この「二流」ってのが厄介で、

一見すると三流までおちるというところまでは現時点では至っていない。

周りの連中にも脅威を感じるような人材が少ない、というところもある。

だが、このままではじり貧でいずれ三流まで落ちるし、

その時にはもうやり直しのきかない年齢になっているだろうというのがはっきり分かったんだ。

三流ならもう少し危機感があったり、早く見切りをつけて違う世界に行ったんだろうが、

じり貧の二流という最悪なポジションに今の自分がいる。

 

なんというか、いい加減な仕事をごまかすことにエネルギーを使っていたんだな。

「この世界で腰を据えて生きていく」という覚悟が足りなかったんだろう。

とにかく、今の俺はじり貧の二流で、ここから抜け出さないといかんということだ。

コミュニケーションってどういうこと?

コミュニケーション能力が必要、とはよくいわれますが、

コミュニケーションっていったい何なんでしょう。

他人との意思の疎通のことをさすのであれば、

本当の意味でそれができている場面なんてほとんどないんじゃないのかな。

結局のところ、社長、とか、先輩、とか、上司、とか、部下、とか

彼氏、とか、親、とか、バンド仲間、とか、

そういう組織における立ち位置に応じて

なんとなく決まっている役割を演じる、ということであって、

それは「人間と話をする」よりも

「明示されていない台本の中身を想像して、なるべく適切に演じる」

という行為のような気がする。

つまり、コミュニケーションの対象は「ヒト」ではなく、「場」であり、「世間」なのです。

コミュニケーション能力が低いというのは、

相手と意思疎通ができないという意味ではなく、

「台本」の中身を推測し、うまく演じるのができないという意味です。

とりあえず、なぜそんなにも世間では大事だと言われているのかわからない「台本」に沿った人間関係は不毛な気がします。

口に出していったら鼻で笑われるんだろうけど

思うに、

「プロジェクト」という名前がついて、それで物事が進むというやりかたは

誰一人幸せにしないんじゃないだろうか。

プロジェクトをけん引する側も、その部品となって取り組む側も、

いつも互いにけん制しあい、表面上うまくやり、ストレスをため、

最後にどうしようもなくなったら責任の擦り付け合いをする、ということじゃないか。

「上手くいっているプロジェクトもある」のかもしれないが、

「上手くいっているように見せている」プロジェクトはたくさん見てきたが、

その実、本当にうまくいっているものは少ない。

 

プロジェクトにしないとお金が回ってこなくて、

プロジェクトにするとうまくいっているようにとりつくろわなくちゃいけなくて、

プロジェクトにするとそれに関係しないことは考えなくなる。

 

プロジェクトっていったいなんだ!?

ブラックかどうかは忙しいか忙しくないかで決まるのではない

忙しいとしんどい。

かたや、忙しくても平気などころかむしろ楽しそうな人もいる。

この差はなんだ?

忙しくて平気で、しかもそれを楽しめる人は

人間としてのレベルが上だとか、

忙しくてしんどいと言っている人は甘えてるとか、

そういうことか?

 

違うと思います。

このブログのタイトルにあるように、

「手綱を握っているかどうか」がすべてだと思う。

自分でコントロールでき、主導権を握っている部分が大きければ、

ある程度忙しくても、「自分で選んだ、やる価値があると信じていることをやっている」ので、

わりあい大丈夫。

一方で、「とりあえず家族を養わなきゃいけない」

「ほかに仕事の当てがない」

「代わりの人がいない」

といった、「自分がその仕事を選んで、その価値を信じている」というのとは

異なる部分が仕事をやる理由としてドミナントになってくると、

これはかなりしんどい。

経験上、しんどいのは100%このパターンだった。

ブラックかどうかというのは、

社員のどのくらいがこういう思いをしているか、だと思うな。

もちろん、人間休まないと体壊すから、

好きで信念があればいくらでも働けるわけではないので

労働時間が長すぎないのはすごく大事。

でも、それ以上に「やりたさ」「やりがい」がほとんど生まれてこないような職場は

間違いなくブラックでしょう。

それを見つけるのは個人の問題、というのもそうだとは思うけど、

人間ひどい環境だとあっという間に追い詰められるもので、

そういう環境だと「やりがい」「やりたさ」を見つける力も鈍るってもんよ。

だから、もう無理とおもったらとりあえず逃げてしまうのがいいんだな。

あるいは、「わがままで困ったやつになってやる!」と開き直るのもあり。

いざというときはいったんリセットするというのはとても大事。

というか、ほんとに一線を越えて心を壊しちゃうとそこまで頭が回らなくなって

取り返しがつかないことになりかねない。

ちらっと「死にたいな」と思い始めるあたりがギリギリのラインだと思ったほうがいい。

それをほったらかしにするのはかなり危ない。

これは完全に憶測でしかないけど、自殺する人は「酔っ払い」とおなじで、

冷静に考え直す、なんてできなくなってしまっているんだと思う。

それは「酒を飲んでも安全運転できる」というのが不可能なのと同じで、

まったくコントロールをなくしてしまうんだろう。

だから、ひとまず逃げましょう。

それと、自分を責めたくなったら、自分の持っていない、できないことでなく、

今までできたことや持っているものを数えるようにしましょう。

課題は「心の殻の破壊」と「合理的な自己防衛」

結構頑張っていて、そこそこ結果が出つつあるときは実は危ない。

つい、欲張って目標を高くしてしまう。

また、自分に力がついてきている自覚があるものだから、

つい、無理なお願いを引き受けてしまう。

そうすると、せっかく力がついてきて、結果も出てきているのに

結局無力感に襲われることになる。

目標を引き上げるのが早すぎるのだ。

また、つい余裕であるように勘違いすると、

気前が良くなり、自分のことの優先度を下げてしまう。

これもよくない。

余裕の有無にかかわらず、自分をまずは大切にし、最優先しなければ

本意の結果はまず得られない。

認識が甘かった。

 

で、結局自己嫌悪と自己否定になってしまうんだけど、

ちょっと待った。

目標をいきなり持ち上げすぎただけで、

出来ていることはたくさんある。

それをきちんと数えれば、自己否定なんてしなくていいことに気づく。

これは自分を守るための方法としてはなかなか筋がいいと思う。

また、余裕ができてくると「自分を大事にしない理由」「本当にやりたいことを我慢する理由」を見つけるようになる。

後でもできると甘く考えてしまう。心の殻にこもってしまう。

そうではなくて、やりたいんだからやるのだ。優先していいんだ。

自分を優先すること。これを覚えないと、結局食い物にされるだけだ。

悲しいけど、初めはそうする意識がなくてもだんだん「じゃあ・・・」ともたれかかられる。

そういう、「もたれてもいいですよ」的な態度をとるのはもうやめだ。