手綱獲りの旅

いつのまにか時は流れおっさんになってしまってました。

毒親は毒を隠そうとするが、隠せない

毒親は、おそらく自分の毒について無意識的に気づいているパターンが多いです。

ただし、それは「反省し、改善すべき毒」としてではなく、

「外ではこういう態度をすると人格を疑われる」

ポイントについて本能的に知っていて、

そのうえで第三者の目がない家族の中でそういった言動を取る、

というものです。

世間体を気にする毒親という生き物は、

他人にはとてもできないようなことを

「家の中だから、相手が自分の子供だから」という理由で

容赦なく行うのです。

書いてて腹が立ってきますね(笑)

 

ここで、常に子供にそういう態度をとるかというと

私の親の場合はそうでもありませんでした。

これは私の親が「公立小中学校の教員であった」

という事情によるところが大きいと思います。

(ちなみに後日改めて記事にすると思いますが、

「親が公立の教師」は場合によっては子供にとって相当な心理的負担になりえます。

当然ですが、すべての公立教師がそうというわけではありません。

素晴らしい先生方も世の中にはたくさんいらっしゃいます)

公立小中学校の教員は非常に狭い世界で生きています。

私の出身地では同じ市内のみで転任するというシステムでしたので、

勤め始めて10年もすれば市内のほぼすべての教員を

何らかの形で知っているという状況になっていたのではと思います。

そして、教員自身の住所はその市内なのです。

つまり、下手に家庭に問題があるということになった場合、

自分の職業である教員の世界で悪いうわさになってしまうわけです。

なので、子供の口から下手なことが担任に話されることについて、

普通の親よりも特に警戒していたのではないかと考えられます。

 

我々の常として、驚きの強い出来事のほうがよく覚えているし、

あとあと思い出すことが多いという性質があります。

これは自分の親が毒親かどうかについて判断する際

とてもよいことである反面、

毒親の影響をひきずる原因でもあります。

なぜなら、毒親が日常の99%を取り繕うことができても、

残りの1%で毒を子供に与えてしまった場合、

子供は「1%だった」としてそれを忘れてしまうことがないからです。

 

 

「うちの親は大体優しいけど、時々不機嫌なことがある」

これは毒親とは言いません。

それは人としてとても自然なこと。

余裕がなくて不機嫌になることはだれにでもあります。

 

「うちの親は不機嫌なことが多い」

これはちょっと嫌ですけど、

私はこれだけで毒親とは言えないと思います。

 

私が思うに、「不機嫌の頻度」が問題なのではなくて、

「ごくたまにであっても、こちらの存在価値を脅かすような言動を取る」

これが毒親です。

不機嫌な時にどのような対応をとるかについては人によって異なりますが、

私が成長するにつれて気づいたこととして、

「機嫌が悪くこちらに対し怒っていても、こちらを脅す言動を決してとらない」

という人たちが世の中にはたくさんいるのです。

おそらく、そもそもそういう人たちは

脅すことで相手を屈服させるという選択肢が最初からないのだと思います。

 そういう人たちは「自分が何に対して怒っているのか」を

明確に伝える聡明さがあります。

 

これに対し、毒親は「俺はお前が気に入らない」ということをこちらに突き付ける際、

もっともこちらが自己嫌悪に陥る言葉をためらいなく容赦なく浴びせます。

この理不尽な怒りを解く方法は基本的にありません。

どのような反論、謝罪も彼らは受け付けないのです。

ただ子供たちは怒りが静まるのを待つのみです。

 

子供は親に愛されたいので、

ひどい目にあっても親の期限がいい時間が続くと

「あれは自分が悪かった」と自分を納得させようとします。

しかし、私のように親元を離れてしばらくして

年月のフィルターを通して残った親との思い出が

親が自分に対してとった残酷な言動ばかりという方は

少なからずいるのではないかと思います。

このように、毒親の毒は結局はあらわになってしまうものなのでしょう。

「毒親」というキーワード

「毒親」というキーワードは

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)」という書籍から生まれたもので、

「子供の成長の過程、および大人になってからの人格形成に悪影響を与える親」

のことだと考えてよいと思います。

 

この本に紹介されている事例は深刻な虐待等、

ちょっとこれは特殊な例だよなと思わせるものがあります。

しかしながら、それにもかかわらず

「毒親」がかなり広く知られるキーワードになりつつあるのは、

実は「そこまでひどくないけどうちの親も毒親だ」

と思わせるものがあり、また実際そうだということなのではないかと思います。

 

で、どうしていきなり「毒親」の話なのかというところですが、

 自身が何に対してイライラしているのかについてを深く考えていったときに、

「親から教わった考え方、世の中の見方では人生を自分のものにできない」

ということに気付いたためです。

 

これは結構な衝撃で、

うまくいかないのは社会的適応力だとか仕事の効率というような

自分の「能力の低さ」

だとばかり考えていたのですが、

(もちろんそれはそれである程度正しいのですが)

ではその原因はと考えると、

自分の行動の習慣が「損をする習慣」であり、

それを生み出しているのが「損をする考え方、物のとらえ方」であり、

その源が「親の価値観や子育ての方向性」であるというのが

ある時ふとわかったのです。

 

ここで恐ろしいのが、

親から離れて暮らしていることもあり、

「親を嫌いだ」という思いどころか

親のことを考えることもない日々だったのに、

身についてしまった習慣や心の反応は

しっかりと自分の人生に影響を与えており、

しかも親にその原因があるということについて、

その可能性すらも中年になるまで気づくことがなかった、

ということなのです。

 

もしかすると一生親の「毒」に気づかず、

なんとなく生きにくい、

なんとなく実家の居心地が悪い、

なんとなくうちの家族どっか変だよな~と思う、

という状況のまま人生を過ごしていたかもしれないのです。

 

このように、親の「毒」が怖いのは、

幼少時から非常に長期にわたって毒を盛られ続けるため、

毒に侵されている自覚がない場合があることです。

さすがに警察沙汰になるレベルの場合、

子供も親の異常性に気付くと思いますが、

(もちろん、それはそれでとても深刻なケースです。)

私のような程度だと、

うっかり親を尊敬しちゃったりして、

小さいころ親に抱いた「嫌だった」という気持ちを

忘れていたりするわけです。

 

しかし、すぐに思い出せなくても

「毒」の影響はなくなりませんし、

ふとした瞬間に親から受けた理不尽な仕打ちは

生々しく記憶の奥底からよみがえることがあります。

そんなときは、なんともいや~な気分になります。

 

「成人しているのに自分の生きづらさを親のせいにするのは幼稚だ」

それはそうかもしれません。

ただ、幼稚でもなんでもとにかく今の「生きづらさ」は事実なのだから

その対策を打つのが「大人」というものだと私は思います。

もしかすると本当のところは私の親は「毒親」ではないかもしれず、

原因もほかのところにあるのかもしれませんが、

現時点で一番自分が納得できる説明が

「毒親」説なのです。

 

では、私の親はどのへんが「毒」なのか?

このあたりを後日少しずつ記事にしていこうと思います。

 

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

このブログについて

こんにちは。馬子(まご)と申します。

馬子とは馬を引くことを生業にする人のことです。

 

このブログについてですが、子供のころから「生きづらい」と感じつつも

とりあえずその場しのぎの言動でどうにかしてきて

結果大人と言われる年齢になったものの

本格的に仕事上で結果を出さなければならなくなったときに

「今までの考え方、やり方ではストレスでつぶれてしまい、全く通用しないぞ

これはきちんと自分の何に問題があるのかを見つめる必要がある」

と思った私のとりとめのないつぶやきです。

 

なので、基本的には他人に喜んで話すようなことではないのですが、

同じような生きづらさを抱えている人が

実はけっこう多そうだということが

ネットでいろいろ調べていくうちにわかってきました。

 

生きづらさの原因は人それぞれだとは思いますが、

自分も含め生きづらいと思っている人の共通点は、

つまるところ「人生の主導権を握っている気がしない」というところなのではないか、

ということに考えが行きつきました。

 

しかし一方で、大いに主体性を発揮し、

人生を謳歌している人がたくさんいることも事実です。

そういう人はえてして金だって持っているし、

良い友人やパートナーに囲まれているというのは、

やはり事実なのではないかと思います。

 

彼らを

「自分とは人種が違う」とか

「恵まれている人々だから」とか

「でも金ばっか持っててもしょうがないよね」などと横目にひがみつつ生きていくのも

一つの生き方ではあるのでしょうが、

ここはひとつそれをいったん置いておいて、

彼らと我々の違いは何であるのか、

どうすれば人生の主導権を取り戻せるのかについて

いろいろな角度から考えてみて、

解決を行動に移す、というようなアプローチをとるのが得だと思うのです。

 

じゃあひとりでそれをやれよ、というのはごもっとも。

ですが、思いを吐き出す場が欲しいなあという

私のわがままでこのブログを作ったわけです。

ネットは怖いところでもありますが、

匿名だからこそ書ける内容があって、

それを読んだ方が少しでも気を楽にできたらいいなあという

ちょっと傲慢、高望みかもしれない願いもあります。

 

ハンドルネームの「馬子」は、

まさに人生の手綱を自分の手に取り返したいという思いと、

戦国武将のようにきらびやかではなくとも、

地味でもいいからイニシアチブのある人生を送りたい

という願いからつけたものです。

 

なお、ブログのジャンルは「知識」ですが、

私は特に心理系の専門家でもなんでもないので

ちょっと申し訳ないかなあと思っています。