手綱獲りの旅

いつのまにか時は流れおっさんになってしまってました。

「毒親」というキーワード

「毒親」というキーワードは

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)」という書籍から生まれたもので、

「子供の成長の過程、および大人になってからの人格形成に悪影響を与える親」

のことだと考えてよいと思います。

 

この本に紹介されている事例は深刻な虐待等、

ちょっとこれは特殊な例だよなと思わせるものがあります。

しかしながら、それにもかかわらず

「毒親」がかなり広く知られるキーワードになりつつあるのは、

実は「そこまでひどくないけどうちの親も毒親だ」

と思わせるものがあり、また実際そうだということなのではないかと思います。

 

で、どうしていきなり「毒親」の話なのかというところですが、

 自身が何に対してイライラしているのかについてを深く考えていったときに、

「親から教わった考え方、世の中の見方では人生を自分のものにできない」

ということに気付いたためです。

 

これは結構な衝撃で、

うまくいかないのは社会的適応力だとか仕事の効率というような

自分の「能力の低さ」

だとばかり考えていたのですが、

(もちろんそれはそれである程度正しいのですが)

ではその原因はと考えると、

自分の行動の習慣が「損をする習慣」であり、

それを生み出しているのが「損をする考え方、物のとらえ方」であり、

その源が「親の価値観や子育ての方向性」であるというのが

ある時ふとわかったのです。

 

ここで恐ろしいのが、

親から離れて暮らしていることもあり、

「親を嫌いだ」という思いどころか

親のことを考えることもない日々だったのに、

身についてしまった習慣や心の反応は

しっかりと自分の人生に影響を与えており、

しかも親にその原因があるということについて、

その可能性すらも中年になるまで気づくことがなかった、

ということなのです。

 

もしかすると一生親の「毒」に気づかず、

なんとなく生きにくい、

なんとなく実家の居心地が悪い、

なんとなくうちの家族どっか変だよな~と思う、

という状況のまま人生を過ごしていたかもしれないのです。

 

このように、親の「毒」が怖いのは、

幼少時から非常に長期にわたって毒を盛られ続けるため、

毒に侵されている自覚がない場合があることです。

さすがに警察沙汰になるレベルの場合、

子供も親の異常性に気付くと思いますが、

(もちろん、それはそれでとても深刻なケースです。)

私のような程度だと、

うっかり親を尊敬しちゃったりして、

小さいころ親に抱いた「嫌だった」という気持ちを

忘れていたりするわけです。

 

しかし、すぐに思い出せなくても

「毒」の影響はなくなりませんし、

ふとした瞬間に親から受けた理不尽な仕打ちは

生々しく記憶の奥底からよみがえることがあります。

そんなときは、なんともいや~な気分になります。

 

「成人しているのに自分の生きづらさを親のせいにするのは幼稚だ」

それはそうかもしれません。

ただ、幼稚でもなんでもとにかく今の「生きづらさ」は事実なのだから

その対策を打つのが「大人」というものだと私は思います。

もしかすると本当のところは私の親は「毒親」ではないかもしれず、

原因もほかのところにあるのかもしれませんが、

現時点で一番自分が納得できる説明が

「毒親」説なのです。

 

では、私の親はどのへんが「毒」なのか?

このあたりを後日少しずつ記事にしていこうと思います。

 

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)