手綱獲りの旅

いつのまにか時は流れおっさんになってしまってました。

学校はよく働くカモを生産する機関

実際に仕事をしたり、あるいは社会で生活したりする際に

必要になる知識は、「お金」と「法律」だといっていいんじゃないでしょうか。

しかし、公教育ではそのどちらについても全く子供に教えることがありません。

これは、そのほうが一部の人間にとって都合がいいからだという以外に

説明のつけようのない現象なのではないかと思います。

 

たとえばモノの値段の決まり方だとか法の基本精神だとか

そういう概念的なものについては一応授業でさらっと触れることはあるでしょう。

しかし、現実に起こりうるケースとしての「契約」「交渉」に関する事例について教わることは皆無です。

賃貸の契約やら、就業に関する法律やら、そういうことについて学校は一切教えてくれません。

ごく一部の生徒しか将来的に使う必要のない微分積分についてはそれなりの数の生徒が学習しているにもかかわらず、

ほぼ全員が直面する上記のような事態についてまるで前提知識を与えられないまま

社会に巣立っていくのがこの国の学生です。

 

なまじ知識をつけられ、企業や大家に法律を武器にたてつくような労働者が

増えてしまっては都合が悪いのでしょう。

そうでない人間を生産するために教育カリキュラムができていると考えることはできないでしょうか。

「労働者は文句を言わず、押し付けられたルールに従いせっせと働いて貢げ」という

社会からのメッセージを感じざるを得ません。

このように、一部の人間にとって都合の良い働き蜂をつくるというのが

この国の慣習であり、国策です。

「お金に対してがめついのは醜い」「裁判沙汰なんておだやかでない」

という風潮も、すべて波風を立たせずに上に従うことを是とすることに同じです。

 

親だけではなく、こういった「誰かの都合」に過ぎない美徳や価値観に倣って生きるのも

一つの生き方でしょう。

しかし、それを拒否して生きる自由はだれにもあるのだと思います。