手綱獲りの旅

いつのまにか時は流れおっさんになってしまってました。

仕事という意味では「代わりはいくらでもいる」のは間違いないだろうと思う

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twitterを受けて。

 

件のブログ記事は読んでいないが、

私は今の仕事において私の代わりはいくらでもいると思っている。

というか、他の誰にもできない仕事なんて本質的にあるんだろうか。

もちろん、仕事をする人の個性が仕事の結果に反映される、というのはそうだろう。

でも、そういう細かい差異を除けば、地球上のたった一人のみが遂行できるゴールなんてほとんど存在しないでしょう。

それは万有引力を予言したニュートンとかでもたぶんそうで、

ニュートンが生まれなかったとしても、遅かれ早かれいずれ誰かはそれに気づいたと思うんだよな。

 

なお、コメントの中に、「キーマンが死んだことでつぶれかけたビジネスを見てきた」

的なのがあるけど、

それは「代わりがいない」ことの事例ではなく、

万一のときに代わりを見つけるまでの時間的、財政的などなどの余裕がないシステムの事例だと思うので、ちょっと違うんでないかな。

たとえば機内のパイロットがみんな心臓発作になったら飛行機落ちるけど、

地球上にパイロットはいっぱいいるでしょ。

 

んで、この記事は結局何を言いたいんだろう。

想像するに、「仕事においてあなたの代わりはいくらでもいる」として、それが悲しいと思いますか、という問題提起なのではないだろうか。

まあそれだけじゃないとは思うけど。

 

コレに関しては私は「いいえ、ちっとも」という答えだ。

むしろ代わりがいくらでもいるからいつでも辞められるし、

代わりがいくらでもいるから「自分のやっている仕事はしょせんそんなもの」と肩の力が抜ける。

仕事を神聖視して、仕事における能力と実績が人生のすべて、という考え方の人には受け入れられないだろうが。

でもまあ、肩の力が抜けているほうが何かといいんじゃないかと思いますよ。

そのほうが仕事も楽しくなるって。

 

ここで強く言いたいんだけど、

自分のプライベートな人間関係においては「あなたの代わりはいない」んですよ!

仕事を苦にして自殺しちゃったりしたら、

職場では代わりの人がやってきてわりとすぐに平常状態に戻るけど、

残された家族には一生消えない深い傷が残る。

そんなひどい話はないだろう。

 

というわけで、私としては

「仕事において代わりはいくらでもいる」は大変ありがたいことで、

決して苦にするようなことではないんだと強調したい。

職場なんかじゃなくて、本当に「あなたの代わりがいない」場所がある。

それを大切にしようじゃないですか。