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手綱獲りの旅

いつのまにか時は流れおっさんになってしまってました。

成果がないことよりも、ごまかしの上に成り立っていることのほうがあとあと厄介かもしれない

どんな仕事にせよ、成果がある、というのは何かと心強いものです。

キャリアアップや転職など、将来自分をアピールする際の材料となるためです。

ただ、それが実際よりも大きく評価されたとしたらどうでしょうか。

あるいは、大きく見せてしまって、それが評価されてしまって引くに引けなくなってしまったとしたら・・・

 

「すみませんあれは嘘なんです」

と後で言うことができる場面はかなり限られてきそうです。

なので、もうそれは「本当のこと」にしてしまって、

そのうえで次をやっていくしかない、というのが実情でしょう。

つまり、一度ごまかしをしてそれで評価されてしまったら、

もうそれをなかったことにはできないというように世の中できてしまっているようです。

 

そうしてごまかし続けられるならよいのですが、

いくつか問題があります。

まず、意外に人生の時間スケール(数十年)というのは、

長すぎることはないもののそれで逃げ切れるほどは短くないようです。

すなわち、生きているうちにまいた種は、

わりと生きているうちに影響してくるようです。

大きな会社の粉飾決算がばれちゃったりするあたり、

これはかなりの場合当てはまりそうです。

 

あとはですね、何でも「ばれてないと思ってるのは自分だけ」

というところがあります。

評価されているようで、内心「まあでもこの人ごまかしてるよね」

というのは薄々気づかれていたりするものです。

ではどうしてそれに気づいているのに「評価していることにして」

その人に仕事を回したりするかというと、

「だまされたふりをしてもその人を評価しているふりをする」

ことが得だからだと思います。

なので、こういう場合、利用価値がなくなったらあっさり捨てられると思います。

その際はもともと「ごまかし」がある分だけ手痛く捨てられることになるかもしれません。

 

そして最大の問題は、

「結局自分をだますことはできない」

という点です。

ごまかしている自分はなにより自分がよく知っています。

そんな精神状態では、何らの称賛も結局心を満たすことはないでしょう。

 

そして怖いのが、それに気づいてもなかなかその状態をやめられないことです。

なので、ごまかしをやるというのはかなりの確率で片道切符になることを肝に銘じておくのがいいのではないかと思います。