手綱獲りの旅

いつのまにか時は流れおっさんになってしまってました。

大人になって思い出す「いい先生」は、地味な先生だったりする

学生時代の先生のことを思い出すとき、

私の場合「いい先生だったな」と思う先生は、あまりキャラクターの強くない、

どちらかというと地味な先生です。

熱血系の先生や、教育における理想を掲げて頑張ってる先生や、

名物的なキャラ強めの先生なんかが担任だったこともありますが、

大人になってからそういう人を振り返ってみると、

どこかいびつで薄っぺらい人たちだったという結論にたどり着いてしまうわけです。

 

多分そういう人たちは、本当の意味で自分の頭で真剣に何が大切なのかを考えることを

ほったらかしにしたまま大人になってしまったのではないかと思います。

どこかで聞いたことのあるような安い正義感に満ちたセリフだったり、

あきらかに「型破り」を意識した言動だったり、

やっぱりなんだか結局は「自分がどうみられるか」しかないんだろうなという感じ。

 

私は「優等生」側の人間で、「不良」側の人間が嫌いでした。

(まあいまでも嫌いですが)

で、不思議なことにそういう先生たちは不良連中になぜか理解を示そうとすることがあります(いわゆる「不良は本当はいいやつ論」でしょうか)。

もしくは、完全にそれを嫌って優等生側ばかりを褒めそやすか、どちらかです。

 

私が振り返って、いい先生だな、と思う先生はそのどちらでもありませんでした。

不良側にはやっぱり悪いことは悪いと言っていたし、

我々側にも、「奴らを排除したいという気持ちはわかるが、気に入らない人間というのはどこに行ってもいるもんだよ」とそれとなく教えてくれていた気がするのです。

そういう、地に足の着いた世の中の見方を教えてくれた先生は実は多くなく、

また目立ちません。

 

しかし、ある程度おっさんになって思い出されるのは、

そういう、地味だけどしっかりした先生の存在でした。

多分、自分なりの人生観をしっかり考えて作ってきた大人、という意味で

当時はよくわからなくても、年を取ってから共感できる部分があるということなのかと思います。

正しいとか正しくないとかではなく、自分の経験に裏打ちされた

「私にとって世界というのはこうだ」という話は、

たとえ自分の世界観にそぐわないとしても味わいのあるものです。